「骸骨を乞う」とは辞職願のこと

最近あまり聞かないけど、「骸骨を乞う」というのは辞職を願いでることです。

古代貴族

私の若いころは政治家なんかがよく使っていたような記憶があるんですが。

「骸骨を乞う」で有名なのが吉備真備の「乞骸骨表」です。

なぜ「骸骨を乞う」が辞職願になったかというと。

帝のために仕えてきたけど、年をとって身体もボロボロ

ほとんど骸骨のようなもの

もうお役に立てそうにないので、こんな骸骨を私自身に返して下さい

というような意味らしいです。

奈良時代には、官職を辞するのは70歳を過ぎないと許されなかったそうです。

「最近あまり聞かない」って冒頭に書きましたが、雪乃 紗衣さんという方のライトノベル「彩雲国物語」シリーズに「骸骨を乞う」というタイトルがあるんですね。

Googleで「骸骨を乞う」を検索したら、いっぱい出てきてビックリしました。

吉備真備の「乞骸骨表」とは?

「乞骸骨」=「辞職を願い出ること」ですが

「表」というのは「上表」、つまり天皇に文章を奉ることです。

神護景雲4年(770年)に76歳の吉備真備乞骸骨表を上表しています。

当時、吉備真備は右大臣・中衛大将。中衛大将の任は解かれましたが、右大臣の職は翌年になるまで解かれなかったそうです。

じつは天平宝字8年(764年)にも吉備真備は辞職を願い出ていたのですが、許可されなかったようです。

それどころか、当時太宰府にいた吉備真備は造東大寺長官に任命されて都に向かうことになります。

ほどなくして藤原仲麻呂(恵美押勝)のが起こると、軍学者の吉備真備はその制圧にあたります。

藤原仲麻呂が所領の越前国に逃げ帰ることを予想して、逃亡ルートにある橋を焼いて軍勢を分断するという作戦をたてたのが吉備真備で、それが功を奏して藤原仲麻呂は鎮圧されます。

年をとってもこれだけ有能な人は、朝廷も手放したくなかったんでしょうね。

吉備真備。唐への派遣歴2回の超エリート

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やたら語呂がよくて、早口言葉でいうと舌をかんでしまいそうな名前の吉備真備

695年に備中国(現在の岡山県)で生まれています。

養老元年(717年)には「養老の遣唐使」として、阿部仲麻呂や玄昉などと留学しています。

天平5年(734年)「天平の遣唐使」とともに帰国したそうです。

遣唐使は19年ほどの間隔で派遣されていたので、帰国するのには次の遣唐使を待つしかなくて長期間唐で暮らしていました。

では、儒学や兵法・天文学などを勉強していたらしいです。

吉備真備阿部仲麻呂とともに、唐の皇帝や文人達に高く評価されたとのこと。

当時の皇帝といえば「開元の治」で知られる玄宗皇帝

玄宗皇帝に高く評価されたとすれば、

絶世の美女「楊貴妃」にも会ったことがあるかもしれません。

帰国後、吉備真備は暦や音楽関連書物、楽器、強力な弓矢などを聖武天皇に献上しています。

天平勝宝4年(752年)には遣唐副使として、再び唐に派遣されています。

宝亀6年(775年)に81歳で薨去。

 

本記事作成にあたっては下記の資料を参考にしています。

岩波書店
日本思想大系 8 古代政治社会思想 1979/3
山岸 徳平ほか校注

Amazon「古代政治社会思想」