就学率は全国平均の2倍以上全国1位! 筑摩県

旧開智学校画像

旧開智学校

明治5年学制発布。

「邑(むら)に不学の戸なく、家に不学の人なき・・・」

ってやつですね。

明治8年、小学校数は

筑摩県656校

長野県339校

就学率

筑摩県71%

長野県55%

筑摩県学校数就学率ともになんと全国第1位

ちなみに、就学率の全国平均は35%

全国平均の2倍以上とは。

スゴすぎるじゃないか筑摩県!

ビンボー県だったのに。

信州は江戸時代からすでに教育に熱心だったらしく、学制発布の明治5年には私塾・寺子屋が

筑摩県1,331校

長野県1,345校

もあったそうです。

【感謝】 教育県信州筑摩県の背景には薩摩隼人の功績大!

江戸時代から信州は教育に積極的な土地柄とはいえ、明治以降、信州が「教育県」といわれるようになったのは、筑摩県の権令・永山盛輝のおかげと言えるでしょう。

永山盛輝は元薩摩藩士。

薩摩隼人の気概に感謝しよう。

筑摩県の権令(長官)として、地租改正の際には地元の要求を通すため中央政府とやりあってくれています。

権令がこの人でなかったら、下問会議も開設されていなかったかも。

しかし、なんといっても永山盛輝といったら教育行政。

教育権令と呼ばれるほど、筑摩県の教育に尽力してくれた人なんです。

筑摩県「学問普及のため申し諭し書」 (明治5年)

・・・上等の学問はその人の材能(=才能)によるといえども、幼年の子弟は男女の別なく小学問所にいれざるものはその父兄の落度たるべきこと・・・

けっこう強い調子で教育の必要性を訴えていますよね。

人気取りのために「ゆとり教育」なんてことを推進した昭和・平成の政治家とは違いが大きすぎると思うのは私だけでしょうか。

永山盛輝は権令として、学制発布に先立って百数十にもおよぶ郷学校(小学校)を開設していきました。

筑摩県医校兼病院や筑摩県師範学校・県立学校なんかも開設しました。

教育県信州のシンボル旧開智学校は筑摩県時代に開校!

明治6年に開設された開智学校は、当初はお寺で授業していたそうですが、明治9年4月に新校舎が完成します。

明治9年8月には筑摩県は長野県と合県してしまうんですけどね。

わずか5年のあいだに消滅してしまった筑摩県

しかしその間に、旧開智学校構想され開校に至ったんです。

建設費用はすべて地元民の寄附によるもの。

国からも県からも補助金なんて受けていないんですね。

そんな旧開智学校が150年近くたった今では長野県の主要な観光スポットになっています。

陽光を浴びて白亜に輝く校舎が地元民としては誇らしい。

本記事作成にあたっては、下記の資料を参考にさせていただきました。
ありがとうございます。

長野県の歴史
古川貞雄ほか著
山川出版社
1997年

図説長野県の歴史
古川貞雄責任編集
河出書房新社
1988年