幻の県・筑摩県とは?

廃藩置県後の明治4年筑摩県・長野県発足。

筑摩県は現在の長野県の中部・南部地方(中南信)と岐阜県の飛騨地方を領域としていました。

その概要をみてみると・・・

領域

伊那・松本・高島・木曽・高遠・飯田・高山

筑摩・安曇・諏訪・伊那・飛騨

県庁所在地

松本城内

権令 (県の長官)

永山盛輝 (元薩摩藩士・鹿児島県士族) 明治4.11.20就任

この人、信州・筑摩県のためにかなり頑張ってくれた人です。

よかったら、名前だけでも憶えておいてください。

明治5年には県議会らしきものも! 筑摩県の先進性がスゴイ

感動する男性

筑摩県には下問会議明治6年に設立され、議員数は62人。

今で言えば県議会あるいは県知事の諮問会議のようなものでしょうか。

一方の長野県にはこのような組織はなかったとのこと。

国会開設の詔勅が明治14年だったことを考えると、筑摩県かなりの先進性を発揮。

・貧困家庭の子供を学校で学ばせる手段

・天然痘種痘の方法について

・新聞を読み知識を広める

・奸商を排除する方法

などといった、県民の生活に密着したイシューを権令が諮問して下問会議で議論されていたそうです。

奸商って、現代でいえば贈賄企業・ブラック企業・御用商人なんだろうか。

この時代にこんな議論をしていたなんて、スゴすぎる筑摩県!

地租改正で豪農・豪商も農民のために尽力!筑摩県

明治6年には地租改正法が公布。

地租改正というのは土地所有者を確定して、面積・地価を調査するというかなり骨の折れそうな作業。

長野県では政府案どおりにおこなわれたそうですが、筑摩県では地租改正のあり方について何度も建白書を提案したりして、政府案とは違いが生じることが多かったようです。

なぜかというと、豪農が農民たちの取り分が多くなって有利になるように努力したとのこと。

エライぞ! 

筑摩県の豪農たちよ。

おそらく貧しい農家であったであろう先祖に代わってお礼を言わしてもらいます。

ありがとう m(_ _)m

こういった動きがその後の自由民権運動につながっていったのは間違いないだろうな。

【悲報】 明治9年筑摩県消滅! わずか5年のいのち

明治9年には政府(内務省)が、政府に忠実な自治体の形成を意図して24県の大廃合がおこなわれ、筑摩県は長野県に併合されることになりました。

自由にやり過ぎて明治新政府に目をつけられたのか?

リベラル筑摩県

その後も筑摩県が残っていたら、かなりユニークな存在になっていたのでは。

人口も経済もほぼ同等なのに県庁の官員数がスリム筑摩県

ここで県庁の官員数を筑摩県と長野県で比較してみましょう。

 筑 摩 県長 野 県
管轄高407,500石余455,475石余
戸数114,561戸104,962戸
人口452,463人466,652人
官員の出身46人
筑摩県内22人(48.0%
長野県2人
県外13人
不明9人
78人
長野県内29人(37.0%)
東京府10人
静岡県9人
県外その他30人 

長野県と人口も経済もほぼ同レベルなのに筑摩県の官員数が少ないですね。

それと、注目すべきは地元出身者の割合の違い。

だから中央政府のいいなりで忠実だった長野県との違いがでてきたのかも。

他府県出身者が地元のためにならないなんてぜんぜん思わないけれど、官員の本気度が違ってきたのでしょうか。

NEXT記事 就学率は全国平均の2倍以上全国1位! 筑摩県

本記事作成にあたっては、下記の資料を参考にさせていただきました。
ありがとうございます。

長野県の歴史
古川貞雄ほか著
山川出版社
1997年

図説長野県の歴史
古川貞雄責任編集
河出書房新社
1988年