冒頭の1節から惹き込まれる。宗春の慈と忍

「温知政要」の冒頭の1節は次のような感じです。

人には心構えが必要だが、その数が多いと、忘れたり怠りやすい。

だから、自分は藩主としての2つをモットーとし、初心を忘れないように、2つの掛け物をこしらえた。

の字の上には日の丸を、の字の上にはを描かせた。といいます。

は自分の内に秘めておくだけでは意味がない。

外へあらわれて、隅々まで行き渡らないといけないという意味では、太陽のようなものだから。

の心で政治をして、人々にまで及ぶようにしようという宗春の意気込みが伝わってきます。

一方、は表にあらわすものではない。

自分ひとりで忍んでいればよいという、君主やリーダーの孤独を感じさせる言葉かも。

おおらか闊達ポジティブ宗春の人柄が冒頭の文章からも伝わってきます。

江戸時代にこんなことをいい切れる藩主がいたのか

国政で過ちがあった場合でも、すぐに改めれば、過ちはなかったことになる。

おおらかな宗春らしい言葉ですね。

家臣たちが萎縮することなく仕事できるように配慮したんじゃないでしょうか。

その次がすごいんです。

ただし刑罪を誤っておこなった場合は、どんなに悔やんでみても取り返しがつかない

一見明白な犯罪でも、いろいろ手を尽くして慎重に調べなさい。

特に常日頃のおこないが悪い人を調べるときは、なおさら注意が必要。

取り調べの時に、偏見やら嫌悪の感情がきざすのは「あさましき事」と戒めています。

たとへば千万人の中に一人あやまり刑しても、天理に背き、第一国持の大なる恥なり

なんて言葉をいい切れる人は、当時の大名で他にいたんでしょうかね。

国持とは大名のこと。

宗春が尾張藩主だった時は、一人も死刑にはならなかったそうです。

これが本当だとしたら、斬り捨て御免が普通の時代に、尾張藩のような大藩で死刑がなかったなんて驚異的なことといっていいのではないでしょうか。

宗春が藩主だったころ、尾張藩は財政破綻してしまったので、宗春は名君とはいえないという人もいます。

しかし、死刑がなかったこと1点をとっても名君と呼ばれるにふさわしい人物だと私は思うのですが。

日本国内だけでなく、同時代の西洋君主より進んでいたかも。

Next 宗春の吉宗批判がおもしろい